つづき譲・BLOG


自由・自立・連帯の精神のもと政治の課題等を考えます
by vmn05756
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都築 譲 Profile
昭和25年9月23日生
63歳
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一色中学、刈谷高校、
東京大学卒
- - - - - - - - - - - -
労働省入省、
愛知県庁勤務を経て
参議院議員(1期)、
衆議院議員(2期)
幡豆郡一色町長(2期)
- - - - - - - - - - - -
(財)三河郷友会理事
- - - - - - - - - - - -
健康法 一日一個のリンゴ
身長178.5cm 体重70kg
- - - - - - - - - - - -
連絡所
岡崎市大西町字渕田61-22
西尾市一色町一色上屋敷
267
Eメール:
tsuzuki5055@gmail.com

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ギリシャ破綻、 旧論考ー924)自由の実践

6月30日(火)、
 朝、家の前のアサガオが満開に。今夕辺りには雨が降り出すかな。a0063907_2163845.jpg

 ギリシャの財政破たんのTVや新聞の報道。長年の放漫財政のツケで資金援助するEUの要請も全く無視する首相では救いようがないのだろう。哲人を輩出しギリシャ文明を築いたかつてのギリシャ人はどこに行ってしまったのだろうか。
 午後、新幹線内で焼身自殺のテレビ報道。世の中変わったものだ。死者も出たし、損害賠償はどうなるのかと他人事ながら気になる。

旧論考ー924)自由の実践  (2004.09.24作成)

 自由の実践というと何か大それたことのように思えるかも知れません。
 私が言いたいのは、寄付金の控除の拡大と税金の自己申告の実行です。
 私たちの普段の生活は、昔と違って統制されているわけではありませんから、ほとんど自由です。ただ、気づかないうちに、目に見えない複雑な仕組みによって、自分の自由が奪われていることもあります。その一つは、税金や社会保険の仕組みです。
 自分の所得は、自分の労働の成果として、自分に帰属するものですが、今日のサラリーマンの社会では、税金や保険料が給与から天引きされています。それが当たり前のことで、ぶつぶつ不満を言っても、誰もそれを変えようとするほどのことは考えません。
 今回の年金法改悪はひどいもので、多くの人が反対を表明しましたが、結局(国会議員の)数の力で押し切られて、10月1日から実施されてしまいます。こんな風に自分が納得しない仕組みで自分の所得が巻き上げられていて、いいのだろうかと思います。  
 税金や保険料は、社会をみんなで支えるための分担金でありますが、それが本当に正しく、ムダなく使われているか、ということにはあまり目がむいていないと思います。これは政治無関心とも関連します。社会のかけがえのない構成員であるとの自覚が大人には必要です。
 同時に、自分の財産権、所得の自由利用といったものが侵されているとの考えも必要です。社会の仕組みに依存し、頼りきってしまって、感覚が鈍ってきているのかもしれません。
 たとえば、月給20万円の独身の男性を考えると(配偶者や子供の控除がありませんから)、ボーナス込みの収入からは、一年間で60万円ぐらいの所得税、地方税、年金・健康・介護保険料が天引きされています。 もし60万円を一括して年末に納めることになったら、どうでしょう。消費税や自動車税などの痛税感とは比べものにならないほどの痛みを感じるのではないでしょうか。
 そうなれば、自分が社会の一員として、納税という義務を立派に果たしていることの自覚をしっかり感じるとともに、拠出したお金が公的な目的に正しく使われているか、より関心を持つようになるのではないでしょうか。 
 今の天引きの仕組みは、戦争中の国家総動員体制のときに導入されたとのことです。その時の精神構造を、この自由な社会に引きずっていること、それを利用するかのような行政の感覚が、問題です。
 私も公務員をやめて国会議員になってから、自分で寄付金控除や医療費こうじょなど白色申告するようになり、少し面倒でも自分で計算したりして、税金申告の大切さを、つくづく感じました。
 現在の天引き(源泉徴収)の仕組みが変えられなくても、一人ひとりが寄付金控除などを自分で申告するようになれば、税の仕組み自体を、ひいては社会の仕組み自体を変えることができると思います。
 もう一つは、寄付金控除の問題です。今は、国が税金として公的目的のためのお金を全部吸い上げ、それを行政が教育だ、防衛だ、福祉だといって分配しています。このほか、文化、芸術、スポーツなどの団体も、国から補助金をもらったり、助成してもらったりしています。
 それはいいのですが、でも皆さんの好きな、応援したいと思っている文化、芸術、スポーツなどの分野、団体、流派と一緒でしょうか。結局国が吸い上げ、特定の政治家、行政官と結びつきが強い団体に偏ることがあります。
 むしろ個人、個人の個性を伸ばすことが自由な社会の、そして文化などの発展の基盤でありますから、人それぞれの好みや価値を尊重するために、寄付金控除の範囲を拡大すべきだと思います。
 それはまた、NPO法人への寄付控除などにもつながります。
 要は、何でも国が決めるのではなく、税制を変えることによって、私たち一人ひとりのお金の使い道の自由度をもっと増やすことが大事だと考えています。
 これが自由の実践の一つの方法です。

(2015.06.30の注:「国におんぶに抱っこ」の仕組みというより、国に「よらしむべし、知らしむべからず」、ということでしょうか。税金くらい自分で計算するのが当たり前、という世の中になれば大分変わりますが・・・。)

by vmn05756 | 2015-06-30 20:46

言論弾圧Part2、旧論考ー923)自由、自立、連帯

5月29日(月)、
 朝、サンケイのWEBニュースで先週の自民・木原青年局長の更迭関連記事を見る。
 谷垣幹事長が問題になることを心配し、木原氏に辞任を促したら抵抗され、首相らの了解をとって更迭したとのこと。事態の重大さも自覚できない人を任命していたとは、人数だけ巨大になって物事の軽重も分からぬ中身のない人たちの政党ということか。
 また、その記事では、若手議員の中から「党内から言論の自由も民主主義もなくなってしまう」という批判の声が出たとのこと、国民の言論の自由も民主主義も否定しておきながら、自分たち自民党議員だけは別だ、という感覚に驚く。国民をバカにするな!!
 でも次の総選挙まで国民はおぼえているだろうか?!


旧論考ー923))自由、自立、連帯  (2004.09.23作成)

 人間は、「壊れた動物」だと思います。
 個体と種の保存を支配する遺伝子のどこかが壊れた動物です。壊れた結果、動物と異なり、「無限の欲望」を手に入れました。また、同種の人間を殺すこともよく起こります。しかし、欲望が遺伝子の支配から自由になったことで、人類はここまで進歩してきたのかな、と思います。
 だから、人間の本質は、自由にあります。自由であって、人としての満足があり、人間の進歩の土台があります。遺伝子の支配から自由になれたけれど、権力者の支配の中でしか自由が与えられないとしたら、それは進歩の限界を作ります(奴隷の自由)。
 だから、人間の自由は、最大限の尊重を求めるのです。
 人間の社会の本質は、連帯にあります。人間の集団としての社会は、動物の群れや集団とは異なり、本能(遺伝子)の支配によって維持されているのではなく、人為的に、複雑な社会的制度を発展させてきました。  しかし、それは遺伝子がどこか壊れた分、それに替わるものとして、外敵からの安全、食料の確保、子供の養育など、構成員がよりよく生きるために必要だったのです。
 一人では、餌をとることも、繁殖することも、外敵から身を守ることもできません。集団として力を合わせることで、個体としても種全体としてもよりよく生きていけます。力を合わせること、即ちお互いを認め、助け合うこと、これが社会の本質です。
 この「個人の自由」と「社会の連帯」とをふたつながらに調和していけるのが自立した人間だと思います。自分の自由が有れば他人の自由もあり、そこに自由の主張と社会の責任が生じます。
 認めたくない他人がいても力を合わせていくという社会の要請は、他人に対する寛容を求めます。
 多くの人がおれば、社会の多様性がその社会の健全性の証となります。独裁的な価値の押し付けは、社会の病理です。多様性を発展させるには、人の交流が不可欠です。交通手段、情報伝達手段などの発達は、更に豊かな社会を予感させるものです。
 自立した人間を育てるのが、家族であり教育です。家族や学校という器の中に子供たちを入れていても、人為的な社会の仕組みを教えなければ、「壊れた動物」として動物にも劣る(本能の抑制さえない)行動を起こしかねないことになります。
 自由、自立、連帯、寛容、多様性、交流といった人間としての、社会としての本質を、政治は尊重しなければなりません。

(2015.06.30の注:「人を殺せ」という戦争、闘争の病理がよく分かりません。自分あるいは自己種族の保存のためとはいえ、寛容・協力・共存という社会的な価値をどう理解していくのでしょうか。)

by vmn05756 | 2015-06-29 11:50

独裁政権?、旧論考ー922)和を尊しとせず

6月28日(日)、
 午後4時、「うなぎの兼光」1周年記念野外ライブに。私並みの高年者が多い。a0063907_11181497.jpg小鹿みきの司会で始まる。岐阜・長良の出身の松田敏来(としき)という歌手もなかなか良かった。ウナギ弁当を買って帰る。
(写真:小鹿みきさんと松田敏来さんのトーク。)

 中日、朝日の論調は、自民党若手の発言に手厳しい。当然だと思う。言論弾圧を党の機関で議論しているなんて。以前の自民党では右も中間もいて、安定感あるバランスを取っていたが、アベ首相になってから一気に右傾化が進んでいる感じ。それがホントの国論だろうか。去年の総選挙の結果は、得票率は自公合わせても5割に達していないのに、「世の中おれのもの」という発想では、戦前と同様に国民の信任を得ていない独裁政権ではないかしらん?

旧論考ー922)和を貴しとせず  (2004.09.22作成)
 聖徳太子の十七条憲法や論語で、古来、「和を以って貴しとなす」とされてきました。日本人の心の中に染み付いた教えのように思います。
 でも今はそれで良いのかと疑問に感じます。いわゆる「小泉改革」の独断専行も目に余るし、それに引きずられている自民党議員たちは、自分たちの選挙や利権のことを考えて和合というか迎合しているのか分かりませんが、もっと本質的に切り捨てられているのは、野党の声、少数派の意見なのです。
 「和」という言葉が、権力者の言うことに「相和せ」という意味であれば、それは「長いものには巻かれろ」という発想です。一人ひとりの主張や個性を認めない、押し殺すような考えで、自由で自立した個々人を前提にした民主主義の考え方とは異なります。
 私は、議論を尽くして後の「妥協」や最後には「多数決」を認めますが、最初から議論も無しに、優位に立つ相手に迎合していく「和合」は、民主主義の精神を裏切るものだと思います。
 特に、議会の運営などでは、多数をちらつかせる多数派ももっと公平な感覚を磨くべきだし、少数派も主張を忘れない態度が大切です。
 個人の自由を認めた以上、多様な考えが前提され、その存在を受け入れる寛容さと公平な感覚が、社会の運営に不可欠となります。
 東洋的な政治思想の発想と西洋の民主主義の考え方の違和感を生ずる一つの側面だと思いますが、長い時間をかけて新しい政治文化を作る過程に、私たちは今いるのです。

(2015.06.28の注:「和」の中心に誰がいるのか、何があるのか、が肝心で、個人の自由や多様性が尊重される社会で、一方で「社会」の調和を図ることが必要とされるわけで、なかなか難しい永遠のテーマであります。)

by vmn05756 | 2015-06-28 20:55

独裁国家、旧論考ー921)国民の祝日

6月27日(土)、
 自民党の若手議員の勉強会で「報道規制」の発言、アベ政権の幹部による朝日新聞、NHKの編集者の事情聴取など、戦前の言論弾圧の様相。僅か一、二年でイヤな世の中になったものだ。安保法制の国会議論はかみ合わず、自己主張ばかり。独善は独裁の現れ、他人や少数意見の無視黙殺。自由・民主の世も行き詰まりか?党名が恥ずかしくないだろうか?


旧論考ー921)国民の祝日の削減  (2004.09.21作成)
 
 昨日20日は「敬老の日」でした。お年寄りに感謝し、敬うことは大切な日本の文化の一つですし、特に近年にお年寄りといわれる方たちは、戦争や戦後の大変な時期を生き抜き、そして一生懸命働いて、今日の日本の豊かさを実現してくれた世代ですから、私たち後進の者は心から感謝し、いたわらねばならないと考えています。
 でもこの日の前後に何が起こっているかと言えば、各地で敬老会が催され、首長さんや議員さんたち行政の関係者が参加して、飲み食いし、演芸会をやり、記念品を渡してお祝いする、というのが全国のどこでも見られる光景ではないでしょうか。
 これで敬老精神が継承されていくでしょうか。電車のシルバーシートを見ればいつも疑問に思います。結局、こうした敬老会などのイベントも政治家の人気取りになっているし、「敬老の日」そのものも政治家の人気取りの結果のように思えてしまいます。
 だいたい、日本の祝日は多過ぎます。元日、成人の日、建国記念日、春分の日、みどりの日、憲法記念日、こどもの日、海の日、敬老の日、秋分の日、体育の日、文化の日、勤労感謝の日、天皇誕生日、合計14日あります。諸外国にも例を見ない多さです。
 また、土曜日休みの週休二日制が普及した結果、お休みだらけになってしまったのですが、それは民間の会社ではなく、官公庁と学校だけのことです。公務員と特殊法人職員と子供たちだけがお休みだらけなのです。
 諸外国で祝日が多くないのは、早くから週休二日が定着していたからですし、また勤労者もお休みは年次有給休暇を計画的にしっかりとっていますから、楽しむ時はちゃんと楽しむことができるのです。
 日本の有給休暇は、20日間与えられますが、その消化率は50%程度です。結局、自分の自由な時間決定ではなく、休暇をとることも国任せ、行政まかせという発想になってしまい、結果は官公庁ばかりがお休みという(みんな皆さんの税金で賄っているんですから)、おかしなことになっています。
 働く時は働き、休む時は休むという当たり前の考え方や、日本人の勤勉性が子供たちに伝わっていくか心配です。
 私は現在の国民の祝日を大胆に削減すべきだと考えています。成人の日、みどりの日、海の日、敬老の日、体育の日は祝日からはずし、8月15日は日本人は決して忘れてはいけない日として平和を祈る記念日として休日にするのがよいと考えています。

(2015.06.27の注:民間で働く人は相変わらず有給休暇をあまり使っていません。国民の祝日にあわせて休日をとっている、つまり国任せ、お上任せで休んでいるのが実態です。自分の生活の自律性、いいのか悪いのか?)

by vmn05756 | 2015-06-27 22:35

銅版画展、一色地区市政懇談会、旧論考ー919)選手会ガンバレ

6月26日(金)、
 午後2時、名古屋・栄のギャラリー尋屋(ひろや)で開催の「ふじいみよこ銅版画展」を参観。a0063907_22171382.jpg従来の作風から大幅に変化し、大きなキャンバスに細密なエッチングで野菜や動物が謎解きのように描かれる。面白い。国内や国外の版画展の優秀賞を受賞しているのを記念しての個展。6月30日まで、松坂屋南館の南側の尋屋ビル5階で。 (写真:[The Circus Troupe of a Farm-6] 銅版画66*100cm、大作だが微細な野菜などの絵に隠されているユーモアが面白い。)


 一色地区市政懇談会の概要を地方紙の報道で見る。
 産廃問題も旧役場庁舎跡地の利用方法も地元の大きな課題だ。しかし、こうした課題について各地区の役員さんや幹部の皆さんにも「この場で」説明していると言うことは、①地区住民と普段の情報共有ができていないこと、②前に作った成案が一歩も変える余地がないと市役所は考えているらしいとのこと、③中戸沢地区の津波避難問題については、一色地区の津波の想定、中戸沢からイケダヤ製菓、ことみ水産までの方向と距離を考えての妥当性など疑問が多いこと、など今回の回答をみても地域の実態や市民の不安の声をもっと真剣に聞きとる必要があると感じた。お願いしますよ!西尾の皆さんは、町じゅう水浸しの13号台風の被害に会ってないからなァ。


旧論考ー919)選手会ガンバレ  (2004.09.19作成)
 プロ野球選手会がストを行っています。
 私は、賛成です。まあ大変な高給取りの選手たちでしょうけれど、それでも勤務の条件や処遇などを経営者と交渉する立場に立つのは当然で、一方的に合併なんてことが決められて、自分の働く場所があるのかないのか分からない、ではたまらないと思います。
 そういう労使関係以前の問題として、いまのプロ野球が面白くないのは、今回明らかになった球団経営者の皆さんの「老害」ぶりによるのではないかということです。
 溌剌(はつらつ)とした伸び盛りの企業やお客相手の娯楽産業で、その前線に立って一生懸命働く従業員を「たかが選手」なんて呼び捨てる経営者なんて一人もいないと思います。
 ファンや観客が感動するのは、選手一人ひとりの真剣な、躍動するプレーや、親しみのもてる人柄であって、それを自分の頭でどうでもできると考えるその傲慢さこそが、野球を面白くしようという意欲にかけている証拠ではないでしょうか。
 まず、公正競争の原理が、機能していないと思います。選手獲得競争といって、金に糸目をつけずに各チームの花形選手を買い集めてしまう。それでは結局それぞれの本拠地のチームの個性が育ちません。またテレビの野球中継も、巨人対**戦というカードが全国で放送されて、地元チームの対戦は放送されない状況になっては、子供たちにも「野球は巨人」という印象を小さい頃から植え付けてきてしまったと思います。
 これも東京一極集中の一つの弊害ではないかと考えます。独占状態になれば、顧客本位で努力する意欲が失われ、人材を集めても平凡な結果しか出せないことになってしまいます。それは本来の自由競争ではないからです。
 一方、新規参入を願う経営者には、意欲も能力もあるのに、「そんな簡単なものではないよ」とシャットアウト。これこそ自由競争を排除する、固陋な体質だと思います。
 競い合ってこそ、観客の目によって磨かれて、面白いゲームができるようなチームができると思います。そんなに簡単ではなく、苦労も大変だろうけど、それでもやると言うんだったら、やらせてみればいいじゃないか、と思います。
 野球を面白くするためにも、「選手会ガンバレ!」と声援を送ります。
 新規参入球団もガンバレ!

 ここまで書いてきて、それこそ社会変革の課題を思い出します。東京からの自由、参入規制からの自由、労働組合の自由…。
 凝り固まった経営者では、大切なことを忘れ、時代変化への対応ができず、組織の更新や新陳代謝ができなくて、そして息がつまるような今の社会を映しているのかもしれません。風穴をあける元気印の野球選手や若手の経営者に期待しています。

(2015.06.26の注:個人も組織も本来の目的・意義に沿った向上・発展を続けることははむずかしいもの。老害と言われるようになると、その自覚さえできないまま周りを巻き添えにする。)

by vmn05756 | 2015-06-26 08:29

TPP交渉、旧論考ー918)改革は一体で⑤(官庁3)

6月25日(木)、
 9時、墓参。先日の叔母もそうだが、母、兄二人、姪、など6月の物故者がおおいなァ。

 今朝の新聞では、TPP(環太平洋連携協定)交渉がアメリカ議会の法案決定で進展するとの報道。今ごろ何だ、と言いたくなる。2~3年前には、日本だけが国内業界の解決ができず、TPPに乗り遅れる、という話ばかりが政府とマスコミから流されていた。アメリカなど未だに準備できていない。日本国民を官・マスコミあげて追い込んでいたようなものではないか。 


旧論考ー918)改革は一体で⑤(官庁3)  (2004.09.18 作成)

 国の地方に対する権限を減らすことは、自治体の自由度を増すこと、地方分権から地方主権へとつながる道です。
 明治4年の廃藩置県によって、江戸幕府と300諸藩の体制が郡県制に改められ、強力な中央集権によって、全国を急速に近代化にしようとしました。この強力な中央政権が間違って軍部独裁に至ったことから、占領軍は英米型の自治制度で分権化することを求めました。そして戦後の日本国憲法では「地方自治」が定められ、地方のことは地方で決めることとされたのです。
 ところが、突然「自治」と言われても、江戸時代の諸藩時代の記憶もなく、また地方には人材も組織も予算もなくて、戦争の廃墟の中からの復興や民生の安定を速やかに進めていくために、結局「中央主導の地方自治」になってしまいました。
 そして、そのときの仕組み、つまり業務内容の指導、予算の確保、組織の運営などが今日まで続いていますし、それだけでなく、「地方自治とはそういうものだ」という意識までも引き継がれてしまったのです。
 結果は、今日でも、地方の首長さんも議会議員の皆さんも、毎年、予算の時期には大挙して東京に来て、官庁に陳情して回り、地元出身の国会議員には口添えをお願いして回る、という光景がつづきます。
 要は、中央に金も力も集まりすぎているのです。それが中央集権ということです。だから分権というのは、その金と権限を地方に配分することです。 
 2000年の分権推進法によって機関委任事務の廃止など、国と地方の事務事業のあり方の見直しが行われましたが、不十分な改革に終わり、結局ほとんど変わっていません。
 実際、本来地方でやるべき仕事を逆に国の事務に吸い上げてしまったり、交付金や補助金といった予算をにぎり続けたりしていますから、今でも「三位一体」なんてことで騒いでいるのです。
 本当の地方自治とは、住民の生活に身近な行政課題、必要な行政サービスは、自治体が、独自に、迅速に判断したり、解決したり、的確に提供することです。中央にお伺いを立てて、一年後、時間がかかれば十年後、なんて他人まかせの話ではなくて、自前で、行政内容の企画力、決定能力を持ち、同時に予算、人員等の政策実行能力を持たねば、自治、ジチといっても絵に描いた餅です。
 それを千人とか一万人とかの町や村に求めることができるでしょうか。税収などは、町長さんと議員の皆さんの報酬で全部消えてしまうでしょう。またその人口で、教育、土木、福祉、環境、などの企画から実行までをやれる人員体制が取れるでしょうか。
 だからこそ、自治体の規模を、40万人規模、全国で300くらいの中核市クラスにまとめるという考えは、財政的にも、人員体制的にも、国に頼らない行政を実行できる地方自治の基礎的な条件になると、私は思います。
 そして、40万人の中から選ばれる首長さんも議員さんも、それだけ厳しい競争の中で選ばれるのですから、見識と能力を兼ね備え、1000億円とか2000億円の大きな予算を、適切に市民のために執行してくれると思います。
                             (つづく)

(2015.06.25の注:改革は進まず、今でも日本はどこまでも中央集権、国家統治の国だなと思います。町長の時に、社会保険の問題で職員に指摘したら、「県の係長に聞いてみます」という返事でした。町の税条例の改正の時でも、国税庁から「00町の**条例の改正案」などという見本が送られてきていたのをみてビックリです。結局「お上」のいう通りです。)

by vmn05756 | 2015-06-25 22:05

旧論考ー番外)デリマ選手と小泉首相

6月24日(水)、

旧論考ー番外)デリマ選手と小泉首相
 ブラジル訪問中の小泉首相が、たっての願いでマラソンのデリマ選手に面会したとのこと、「何でもいいから、テレビに映ればいいんだ」というメディア利用作戦が見え見えで嫌なんですが、テレビレポーターは、この会談の意図は、「妨害にめげずに、よく走りとおした」と郵政民営化の妨害勢力に負けない小泉さん自身の姿勢をダブらせてアピールすることだと、解説していました。
 もしそうなら、がっかりです。デリマ選手の素晴らしさは、走りとおしたこともありますが、それ以上に、自分の身に突然ふりかかった災難、一生の努力を台無しにしてしまう不運にもかかわらず、その犯人にも、ギリシャの警備やオリンピック関係者にも、怒りもせず、恨みもせず、愚痴も不満も言わず、逆に「ギリシャは素晴らしい国だ、ギリシャの人々に感謝している」と自分の気持ちを述べたことに、私はビックリするとともに、感心しました。
 この世の名誉利害得失を超越し、悟りの境地に至っているような印象です。
 かつての日本の谷口選手の靴を踏まれたのに、「こけちゃいました。」という軽妙な発言の淡白さにも共通し、マラソンというのは、あるいは他のスポーツでも、世界のトップになるような努力をしてきた人たちには、常人の心境を超えるようなものがあるのかなと思います。 
 皆さんはどう思いますか。

by vmn05756 | 2015-06-24 23:15

沖縄慰霊の日、独裁、旧論考ー917)人間の労働③

6月23日(火)、
 第2次大戦での沖縄戦最後の日。司令官の牛島中将が自決し、日本軍の抵抗は終わった。沖縄県民の死者は県の人口の4分の1=20万人余に上り、国内最大の一般人戦死者をだした。アメリカの長期戦略がどの様になっているのか、誰が描いているのかよく知らないが、尖閣諸島、竹島、北方四島の領有権、沖縄の基地利用など難しい課題がある。しかし近隣の台湾、中国、韓国、ロシアと仲違いをさせつつ、沖縄県民を攻撃からの人身御供としてか、やれば徹底的にやり返す覚悟を示す意味か、沖縄にとって妙案はないものかな。

 アベ独裁政権、と言っていいくらいの強引な国会運営。助言や意見具申しているのは誰か?これほど好き放題決めているのは、勿論野党があまりに少数だからだが、それでも選挙の得票率は与党(自・公)と野党(たくさんの党)でほぼ均衡、国民の半分の声を全く無視する、あるいは尊重しないで済むわけがない。民主主義の否定だと思う。独裁、独善は、必ずしっぺ返しを受ける。国民全体を巻き込まないで欲しい、と願う。

旧論考ー917)人間の労働③   (2004.09.17 作成)
 なぜ長時間働くのかといえば、勤労者にとっては、残業手当込みの毎月の収入で、教育費やローンなどの生活設計をしている実情があります。本給だけでは、十分な生活には足りないのです。また、企業にとっては、優秀な人、経験をつんだ人、分かっている人に、25%割増しの残業でこなしてもらったほうが、新しい人を採用する経費、訓練して育てる経費、福利厚生の経費などが安くつくし、景気後退で仕事がないときに、人員過剰となって人件費が過重負担になることを防ぐ意味もあります。
 それでは、勤労者ばかりに負担を押し付けない本当の改革というのはどうするのでしょうか。企業と勤労者に、労働時間を短くせよとか、給料を十分出せといっても、業績や、景気の状況などで決まってしまい、限界があります。
 むしろ、企業と勤労者を取り囲んでいる社会全体、経済システム全体に着目し、その不合理を改革することです。
 つまり、公共部門のムリ、ムラ、ムダがあれば、それを省くことです。なぜなら、こうしたものが民間の事業活動のコストに、さらに経済全体の高コスト構造に跳ね返ってきて、企業として市場競争のためには、勤労者に長い時間を安く働いてもらうことになっていたからです。
 例えば、人件費以外の事業コストを考えると、原材料費、光熱水費、流通コスト、宣伝広告費、通信費、土地建物の経費、研究開発費、資本調達コストなどとさまざまあります。そして自由市場経済といいながら、日本では、あらゆる分野に行政の関与や規制が張り巡らされています。
 その一つが、公共料金の問題です。日本では、他国と比べ、電気、ガス、水道、通信、道路、鉄道、航空機などの公共料金が割高で、これを下げることが大事です。
 民主党のマニフェストで取り上げましたが、高速道路料金は高いし、公共交通機関も、例えば名古屋の市営地下鉄など、一区間の料金が200円もして、フランスなどだったら暴動が起きるのでは、と思うほど高いのです。
 また、さまざまな規制も問題です。例えば土地や建物の利用規制も、大きな計画が無くて、こと細かい規制ばかりありますから、有効に活用できなくて、コストに跳ね返りますし、事業活動そのものについても業界全体を守るためいろんな規制がありますから、官庁にお伺いを立てながらやっていて、効率的にやれない実情があります。そうした経済的規制を撤廃することも、高コスト構造改革の大きな柱です。
 人件費についても、そうした高コストのために内外価格差が大きく、結果として、名目の賃金は高いけど、実質の消費水準は低く、豊かさが感じられないことになります。住宅、教育費、旅行、社会保険料など、高いなあというのが、皆さんの実感ではないでしょうか。
 経済構造改革で、高コストを是正し、物価水準を下げれば、つまり「名目は高賃金、実質は低所得」ではなくて、「実質も高所得」に変えることができれば、しょっちゅう残業をしなくても、十分生活を楽しむことができるようになると思います。
 (今は、デフレが暫く続いて、物価も下落しましたから、お金の価値も上がった感じがいたしますが、これは中国などの低賃金の国からの輸入品で支えられているからで、がんじがらめの規制や高い公共料金などの高コスト構造は何一つ変わっていません。小泉さんの「改革」も、結局は掛け声倒れだと、私は思います。)
 もう一つ、社会保障費の企業負担もばかになりません。年金、医療、介護、労災、雇用
などの社会保険は、勤労者の給与総額に連動しますから、企業は、賃金を少しでも低く抑えて、全体の保険料負担のコストを抑えようという考えになります。
 では社会保障制度は公平かというと、人を雇っている企業だけに、なぜ従業員でない世の中全体の老人の医療費や、介護費用、基礎年金の負担を負わせるのか。それらは、税金によって社会全体で支えるべきものではないのかと、私は考えます。結局、社会保障制度の過重で不公平な企業への負担が、長時間労働の一因にもなっているのです。
 公共料金、経済活動規制、社会保障など本来改革すべきところを改革し、時間外割増率を50%にして恒常的な長時間労働を是正し、自由な人間的生活と社会の健全性を取り戻すというのが、私の改革の本旨です。

(2015.06.23の注:この10年で中国などの世界経済への進出など大きく変わりましたから、今でも消費経済は新商品、新サービスなどで豊かに感じられます。勿論やられたところもありますが。社会保障費など考えると、国の赤字が1000兆円を超えてなお増加し、働き手の若者は減少していく現状は政治家や行政官僚の無責任、そして国民の無関心を嘆かざるをえません。)

by vmn05756 | 2015-06-23 21:45

日韓50年、「共同」世論調査、旧論考ー916)映画「華氏911」

6月22日(月)
 午前11時、家のまわりの雑草整理。
 午後3時半、歯医者さんで虫歯の治療。

 今日6月22日は日本と韓国が国交を開始して50年の記念の日。1965年は太平洋戦争が終わって20年、南北朝鮮の成立から朝鮮戦争、休戦とめまぐるしく動く中で漸く前進。戦争中に、日本軍に手の指の爪を全部剥がされた人たちもいたりして、反発は強かったが、今日への道のり。挑発するようなアホ首相がいたりして、日本の将来も大変だ。
 安保法制の議論が国会で続くが、「共同通信社」の世論調査によると安保法案を違憲とする人56%、安保法案に反対58%超、とか。今のトップは周りも見えず、国民の声も聞かず・・・。独裁の始まりだ。


旧論考ー916)映画「華氏911」

 今話題の「華氏911」を見てきました。9.11以後の事態の展開について、先日も書きましたが、自分の認識が根本的に間違っていたかな、と思います。
 9.11はなぜ起きたか。ニューヨークの世界貿易センターは、みんなが知っているようにユダヤの金融資本と軍需産業資本の本拠地でした。そこが攻撃されたということは、パレスチナ問題に端を発するユダヤ民族対アラブの民族の争いに原因があると考えてきました。
 しかし、マイケルムーア監督が冒頭に描いたのは、ビン.ラーディンも属するサウジアラビア王族の24人が事件後に国外にあわてて脱出したこと、サウジ王族とブッシュ家の緊密な関係、またその中でサウジ王族の資本が、アメリカ経済の7~8%を支配するに至っている状況でした。
 アラブの大義を掲げながら、実は、サウジ王族資本対ユダヤ資本の戦いである、というのがムーア監督のメッセージでしょうか。
 そしてその後のアフガニスタンやイラクの戦争では、沢山の市民が犠牲になり、またアメリカ兵もほとんどが貧しい家庭の出身で戦地に送られる。
 結局、大金持ちの争いに、普通の市民や貧しい人たちが戦争という大きな争いに巻き込まれて、殺し合いをやっているという構図でしょうか。
 アメリカのパウウェル国務長官は、昨日、イラクに大量破壊兵器はなかったと発表し、戦争の正当性が更に失われました。
 サウジ王族の関連性については、少しはニュースで承知していましたが、日本の報道機関では、あそこまでの詳細な報道は無かったと思います。これも事実を知らなければ判断を間違える一つの典型例でしょう。
 権力の民主的コントロールという民主主義の仕組みは、力(知力、腕力,金力etc)のある奴の暴走を食い止めるためにあるといいましたが、すでに暴走状態だと思います。
 これを、国際的に作っていく、つまり戦争をなくしていくことは、気の遠くなるような課題ですが、ただ他人の主張に追随するのではなく、正確な情報と的確な判断を下せる政治の重要性を改めて痛感しました。痛感ばかりでは、何にも変わりませんが、それでも国民の意識を変える努力を続けていと考えています。


(2015.06.22の注:その後事態あは益々複雑怪奇に、そしてより制御不能になって言っていると思います。科学、技術、財力の拡大と人間の欲望の無制限の拡散?!)

by vmn05756 | 2015-06-22 21:54

旧論考ー915)人間の労働②

6月21日(日)、

旧論考ー)915)人間の労働②  (2004,09,15作成)
 日本の長時間労働は、以前から、特に1980年代の二つの前川レポートにおいても、指摘されてきました。 その後のバブル崩壊や政治の失敗による不況で、失業が増大し、時短どころでなくなってしまいましたが、私は、今はもっと深刻な課題になってきていると思います。
 それは、もの凄く働く人と、ほとんど働かない、働く機会のない人たちとの二極分化です。それは、人間の自由と社会の健全性というものを、いろんな点で損なうのではないかと、私は心配しています。
 私は、労働の成果の多い、少ないの違いはあっても、誰もがみんな自分の持つ能力を発揮して働くことで、自分の生計をたて、自分の人生を生きていく、そして社会に役立っていく、またそういう意識を持つ、ということが社会の中の人間として当たり前のことだし、もっとも大切なことだと考えています。
 働きたいのに働く機会のない人、働く意欲さえ失ってしまった人たちは、どうやって自分の人生を生きていくのでしょうか。自分の自由を実現する自前の経済的手段もなく、社会との大事な接点もなく、孤立を深めていくとすれば、不幸なことです。
 他方、朝早くから夜遅くまで働き続けている人たちは、それで自分の人生を生きているのでしょうか。家族のことや自分の趣味や楽しみ、親戚や近所とのお付き合い、人間はもともと多様な関係で社会と結びついているのであって、それがまた安定感を与えていると思います。雑食、雑多な動物が人間の本質です。
 時には一事に集中することは大事ですが、恒常的に働き続け、仕事に「淫する」「中毒」のような状況になることは、動物としての人間の本質、自由に自分の人生を生きていきたいという本性に反するものです。
 また、仕事以外のさまざまな関係から孤立させ、切り離されて、社会の中の大人としての役割を十分意識する暇もないのでは、社会の一員としての人間の本性に反することだと思います。
 現在のほとんどの勤労者やその家庭は、上で述べたような極端な事例の中間に位置していますから、また、長時間働き続ける人たちも、どこかで妥協し、折り合いをつけていますから、まだ日本の社会の健全性といったものは、時折の異常な社会事件の発生を別にして、保たれていると思うのです。しかし、多くの人が、「日本の将来は大丈夫か」という危惧を示しています。私も同感です。
 人間の社会は、いろんな人がいて、多様な人間のグループがあって、自由な生き方ができ、そうした他人の自由を尊重できる、そういう気風が健全性の証だと思うのです。
 ところが、働きすぎて、あるいは働くことができなくて、社会から切り離されて、社会への関心(家族レベルから政治レベルまでありますが)も持たなくなってしまうと、何か偏った社会になってしまう恐れがあります。
 だからこそ、自分の自由な時間、社会とのかかわりの持てる自由な時間を、人口の半分を占める働く人に持ってもらう必要があると考えています。
 逆に、時間短縮は企業の競争力を削ぎ、豊かな社会を維持できなくなるとの指摘があります。
 私は、それはあまりに勤労者層ばかりに競争コストの負担を押し付けるものだと考えています。 特に、割増し率の話どころか、「サービス残業」なんていうタダ働きをさせて、競争に勝つというのでは、反社会的と言わねばなりません。国家公務員には労働基準法の適用が無くて、戦前の官吏同様に「無定量の忠節」という考え方で、深夜残業ばかり繰り返す悪習慣があり、それを民間企業も第二次オイルショックの頃からまねていったのだと思います。
 しかし、それこそが今日まで続いているような、法律を適当に潜り抜ける安易な道を選び、一方で、本当の問題、本当の改革に手をつけず、勤労者層に負担ばかり押し付ける、これまた安易な発想の発端であったと思います。

(2015.06.21の注:10年前もその前もこうであったように、今またさらに労働法制を企業に都合よく、勤労者に不利益に変えようとする自民党政権。欧米の労働法制のようになぜ改革できないんだろうか。当時の民主党のアホ首相も格好よく衆院解散をけしかけただけで、働く人、国民全体に何か良い政策を実現しただろうか。日本の政治家の幼児趣味に愕然としたものだ。)

by vmn05756 | 2015-06-21 21:46