2月5日(木)、
道徳の教科化について、昨年10月の中教審の答申を受けて、文科省は学習指導要領の改訂など本格的に取り組み始めたとの新聞報道。道徳と言う心の問題について、国・公権力が指導・介入することは難しいし、不適切だというのが、戦争前の「修身」教育への反省ではなかったのか。
こういう発想が出ること自体、それぞれの人間・子どもの個性や自主性、自発性あるいは自分なりの誠意、思いやりと言ったものを、学校の先生が一律に、一定の方向に導いて、何をやろうと言うのか。
アベ政権になって、ますます右傾化、国家主義化の傾向が強まっていることに強い危惧を覚える。国民が主権者であり、その自由・人権は最大の尊重すべき価値であり、ばらばらの考えがあることが、そしてそれを(その社会を)全体として何とかまとめて行くのが、政治の役割ではないのか。「右向け右!」は政治の方法ではない、と思う。